小説
砲弾士イソ・オラク:必然
イ・チャソン
パク・ヒョンウク

「おいおい、なに勝手に通ろうとしてんだ?」
「わしはただの老いぼれだ。人に会いに来ただけだ。道を開けてくれ」
「ダメに決まってるだろう、ここは俺たちのシマだ。俺たちに従ってもらわなきゃな」
「用が済んだらすぐに帰る」
「ハッ、図々しいジジイだな。だが、方法がないわけじゃないんだがなぁ?」

道を塞いでいたごろつきの一人が老人の目の前で指をこすり始めた。

「何だ…?」
「ハァ、わからねぇのか」

青年は苛立ちながら指で小さな円を作って老人の目の前につきだした。

「金だよ、金!金をくれたら通してやるって言ってるんだよ」
「ウッ、ゴホッ、ゴホッ…わかった。金ならやろう」

老人が咳をしながら懐を探り、銀銭を青年の手のひらに握らせた。銀銭を見た青年の目が変わった。端奥房の警備を任されているような口ぶりだったが、彼は貧民街に暮らすただのごろつきだった。

「これでいいな」
「おお、話が分かるじゃねえか!で、誰に会いに来たんだ?」
「ゴホッ…その…イソ・オラクという者がここにいると聞いたのだが」

*

「ま~ったく、こんな腐った世の中でも楽しまなきゃ損だよな」
気持ちよく酔いに浸っていたイソ・オラクは千鳥足でふらつきながら端奥房の闇市場を歩いていた。
毎日酒を飲んで夜を明かす生活を送っていた彼は、今日もいつもと変わらない一日を過ごすつもりだった。そう、揉め事を起こしているあの老人と出会うまでは。それは運命の悪戯だったのか必然だったのか、今となってはわからない。元々ごろつきが闊歩している場所であったため、揉め事の一つや二つは珍しくなかった。しかし今日に限ってなぜだか、もめ事を起こしているあの老人が気になって仕方がなかった。彼はどうしても無視できず、端奥房の隅にいる老人のもとに向かった。


「金なら渡したではないか!約束が違うぞ!」
「だから、ダメなんだよ…!誰かに気付かれる前に帰ってくれ!」
「そんな、理不尽な!」

「何してんだ?」

オラクの声が合図のように凛として響き、二人はハッとなって口論を止めた。青年は咄嗟にだらしのない姿勢を正し、背筋を伸ばした。老人はその態度の変化に驚きながら、たった今現れたもう一人の青年と彼を交互に見つめていた。

「なに揉めてるんだ?」
「そ…その…」
「ゴホッ、ゴホッ、わしは人に会いに来ただけだ。会わせてくれないか」

まごつく青年の言葉を遮るように老人は話を続けた。老人の言葉が気になってオラクは聞き直した。

「誰に会いに来たんだ?」

慌てながら青年が答えた。

「この爺さんがオラクさんに会いたいと…」
「俺に?」

その言葉に老人は目を丸くした。

「お、お前がイソ・オラクか…?」

老人は再び咳をしはじめた。今度はなかなか止まらないようだった。老人の背中をさすりながら咳を止めようとしたオラクは仕方なく言った。

「ひとまず俺の部屋に案内する。俺に危害を加えに来たわけじゃなさそうだしな」

咳が治まった老人は青年と向き合って座り、青年の顔をしばらく眺めていた。新しく端奥房の房主となった彼は二十歳を過ぎたばかりのあどけなさが残る顔をしていた。そして…ある人物に似ていた。

「俺に会いに来た理由は何だ?」

オラクは聞いた。 しかし老人は話そうとしなかった。沈黙に包まれた部屋は老人の咳の音が響くだけだった。肺を悪くしているのか、老人の息遣いからガラガラと音が鳴っている。その声はこの老人はもう長くは生きられないということを示していた。だが光を失っていない瞳は、その老人にはまだ生きる意志があることを表していた。老人は昔、学識の高い官吏だった。しかしそれはもう過去の話。今は腰の曲がった老い先短い老人にすぎなかった。

永遠とも思える時間が過ぎた。 オラクの忍耐が限界に達しようとしたとき、老人が口を開いた。

「この老いぼれの話を少し聞いてくれんかの。」

何も言わず黙っていた老人の突然の力強い言葉にオラクは困惑した。しかし自分を見つめる老人の真剣な表情を見て、オラクは無意識に気を引き締めた。

そして老人の話が始まった。

一人の若い女がおった。
それはわしの娘でな。

わしの言う事に耳も貸さず、あるクルムの兵士と一緒にシントへ行ってしまった。
だがほどなくしてシントは濁気に包まれた。
お前も知ってのとおり、今は悪鬼都市と呼ばれておる。

人は皆、誰もが悪鬼都市から脱出しようとしていた。
しかし頑固なあの兵士は悪鬼都市に残って人々を救うことを選んだ。その結果、自らの命を失った。
こうして名も無き兵士は消えた。
そしてわしの娘も一人になった。

だが娘は家に戻らないと言って聞かなかった。
それでわしは無理矢理籠に乗せて家に連れ戻したのだ。
すると驚いたことに、娘の腹には命が宿っておった。

わしは娘に言った。
不幸だが腹の中の子どもの命は長くないだろう。
濁気に染まってしまっている。
そして娘はそれを信じた。父であるわしの言葉を…。

娘は子を産んだときに気を失った。そして娘は、一度も我が子を見ることはなかった。
子どもは既に死んでいたからだ。
いや、死んだと思っていたからだ。少なくとも、娘はそう思っておった…。

娘は泣きはらした。
わしは娘に言い聞かせて、礼服を着せてクルムの高官の家に嫁がせた。
そして娘が産んだ子どもは名前が書かれた布に包んで江流都の貧民街に捨てた。

かれこれ…もう二十年も前のことだ…

咳と荒い呼吸によって老人の話は止まった。老人が顔を上げると、拳を固く握りしめているオラクの姿が目に入った。無意識に力強く握られていたその拳はわなわなと震えていた。

「…なぜ俺にこんな話を聞かせた?」
「…長い間、お前を探していた」
「人違いだろう」
「わしがつけた名前だ。間違えるわけがなかろう」
「戦乱の時に孤児なんていくらでもいるだろう。俺もその中の一人さ」
「お前の父も、銃の名手だったぞ」

オラクは言葉を失った。老人は部屋に置かれたいくつもの銃を眺めながら言った。

「お前も…父にそっくりだ。血は争えんな」

*

重くのしかかる沈黙が部屋を支配していた。永遠に続くと思われた静けさは突如、老人の咳の音によって引き裂かれた。

「ゴホッ、ゴホッ…」

やっとの思いで息を整えた老人は重い口を開いた。

「わしはもう長くない。おそらく年は越せんだろう」
「…」
「その前にお前に許しを請いに来た」
「…勝手な話だ」
「わしを罵っても構わん。だが娘にしてやった事に後悔はない。少なくとも…わしの娘だけは幸せに生きて欲しかった」

老人は再び咳をしはじめた。オラクは老人の咳がおさまるまで静かに座って待っていた。

「ハア…」

肩で息をしながら老人は話を続けた。

「だが、娘は嫁ぎ先の家にも足を踏み入れることはなかった。村に疫病が流行り、嫁ぎ相手の家族が全員死に絶えたからだ。娘は、来た道を引き返すしかなかった」 老人は深くため息をついた。そして独り言のように呟いた。

「わしのせいだ…因果報応、か」

老人の目元に深い皺が寄った。老人の表情のせいもあったのかオラクの緊張は解かれて、強く握られた拳はいつの間にか解かれていた。

「わしの娘は今でも、悪鬼都市で戦いに巻き込まれたせいで自らの子が死んでしまったことを悔やんでおる。それが自分に下された罰だと思い続けておる」
「そんな…」
「娘は自分の罪を少しでも償うために夫が死んだ地へ戻った。そこでせめて死んだ夫と子の代わりにと、苦しむ人々の面倒を見ておる」

老人は大きく唾を飲んだ。

「わしは娘に伝えられなかった。お前の子は、本当は生きているのだと」

老人の視線がオラクに向かった。老人の目には答えを待つかのような切実さが込められていた。しかしオラクは老人の視線に耐えられず、思わず目をそらしてしまった。

老人は諦めて持っていた袋を漁って紙切れを取り出した。

「気が向いたら見るといい。お前の母が暮らしている場所だ」

オラクは紙切れを静かに受け取り慎重に開いた。

「達筆…だな」
「文官として務めていた老いぼれの昔とった杵柄だ」

老人は来たときよりも一層老けた様子で杖を突きながら帰って行った。

老人が去った後、オラクは部屋を漁ってある物を取り出した。貧民街に捨てられた自分が包まれていた布だった。布を開くと「イソ・オラク」と名前が刻まれていた。それもまた、稀に見る達筆だった。

彼は名前が刻まれた部分が見えるように布を床に敷き、その横に老人から受け取った紙切れを静かに置いた。オラクは紙と布を眺めながら夜を過ごした。

***

紙に書かれていた場所は悪鬼都市からそう遠くはなかった。

急いだおかげか、道のりが難しくなかったおかげか、オラクは出発してから数日もせずに目的地へたどり着いた。彼は自分の探し人をすぐに見つけられた。が、声をかけることができなかった。

彼女は未だに溢れ出している濁気によって苦しめられている人々を看病していた。いつ濁気に汚染されるか、いつ魔物に命を奪われるかわからない状況だった。しかし、それにも関わらず彼女の表情は明るかった。

奇妙な感情がオラクを支配していた。その懐かしさにも似たような感情に、彼は困惑していた。

少し離れた場所で看護人たちが自分を指差しながらひそひそ話をしていたのだが、オラクはぼんやりと立ちすくんでいたせいでそのことに気付かなかった。看護人の一人に突付かれた彼女は、ようやくオラクの存在に気付いて彼に声をかけた。

「あの…どうかしましたか?」 「えっ!?」

突然の女性の問いにオラクははっとした。 「ごめんなさい、みんなが不安がってるの。さっきからここにいるみたいだけど…何かご用?」 「い、いや、あ、あの…そうだ、水!水を一杯くれないか?」 驚いたオラクは咄嗟にこう言い放った。それを知らない女性は笑いながら水が入った椀を差しだした。

「あ、ありがとう…」

オラクは女性がくれた水を見て自分の唇が渇いていることに気づき、それを飲み干して喉を潤した。その姿を見た彼女はどこか懐かしさを感じるような目で彼を見つめていた。

「…俺の顔に何か?」 「ごめんなさい。あなたを見ていたらある人を思いだして…」 「俺みたいな男前はなかなかいないんだけどな…そいつはかなりの男前なんだろうな」 おどけたようなオラクの言葉に女性は思わず笑いをこらえた。 「ふふふ、面白い人ね。それに本当によく似ている…特に目が…」 「そうか。それは…誰なんだ?」 「私の主人だった人にね」 「だった…?」 「あっ…」

女性の目に一瞬戸惑いが表れた。その表情に気づいたオラクは気をきかせてこう言った。

「すまない。余計なことを聞いたな」

オラクの言葉に女性は首を横に振った。

「いいえ、私も余計なことを言ってごめんなさい」

女性はしばし悪鬼都市を見つめていた。

「私の主人はここで命を失ったの。でもその時私はそばにいられなくて…そして主人との間にできた子も…」

女性は俯いた。

「でも、こうやって私だけが安らぐのが申し訳なくて…」 「安らぐ…?」

信じられないというオラクの言葉に女性は顔を上げた。

「私は魔皇と戦うことも濁気を消すこともできない。最初はあの人の遺志を少しでも継ごうとこの仕事を始めたの。でも人々を看病していくうちにむしろ私の心のほうが安らいでいる気がしてきたわ。でも…それは申し訳ない気がするの。私の主人にも子どもにも…」

女性の言葉を聞いて何か言いたげだったオラクの唇が震えた。しかし結局何も言うことができなかった。

「ごめんなさいね、初対面の人にこんな事を話すなんて。なんだか少し懐かしくなって…」 「ああ、いや、こちらこそ」

オラクが空いた椀を差し出して言った。 椀を受け取った女性は柔らかな笑みを浮かべていた。

重い足取りで出て行ったオラクはしばらく立ち止まり女性を見つめた。女性は患者と仲間たちの元へ戻っていた。オラクはそれをしばらく見つめた後、再び歩き出した。

***

その日から数日間、オラクは自分の部屋にこもっていた。彼が部屋を出た時には着替えが入った荷物と銃が握られていた。

旅立つオラクの前に人の群れが集まってきた。その先頭に立っていた少女がオラクに向かってこう聞いた。 「どちらへ?」 「ユフィか」 「待ってください!私たちを置いて一体どこへ…」 「悪いな。やりたいことができたんだ」 「なら私たちも一緒に!連れて行ってください!」

ユフィの言葉に皆がうなずいた。彼らの目に宿った決意を感じ、オラクはやれやれと呆れたように首を振った。

「わかった。後で後悔しても知らないぞ?」

喜びに沸く一同が声をあげて端奥房から出てきた。彼らの後ろ姿を追っていたオラクの視線の先には端奥房が映った。


「濁気が消えるまで…あるいは私の命が尽きるまでここにいるつもりよ。濁気に立ち向かったあの人の遺志を少しでも継ぐために…」

あの女性の言葉がいつまでも耳に残っていた。


今までオラクにはやりたい事も守りたいものもなかった。元々彼にとってはクルムもパラムも関係なかった。

「こんな世の中、どうでもいいと思ってたけどな…」

ようやくやるべきことが見つかった。

父が止めたかった濁気と 母が守りたかった世の中…


「よっこらせ!」

オラクが荷物を肩に持ち上げた。いつもは星の光も照らさない端奥房の貧民街を、今日に限っては朝日が照らしていた。



その後、江流都の端奥房からそう離れていない場所に砲弾寺が建てられた。そしてイソ・オラクは八部器才となった。

-終-