小説
キヨンの物語:石墓の報恩
イ・チャソン
パク・ヒョンウク

牛の歩みで西に向かっていたはずの太陽はいつの間にか山の尾根に沈みかけていた。赤色に染まった空も次第に暗くなり、吹き付ける風も冷たくなっていた。窓から差し込む陽の明かりを頼りに手紙を書いていたキヨンは肩をぶるっと震わせた。寒さに我慢できなくった彼女が窓を閉めると、元々日当たりの悪い小さな部屋はいっそう暗くなり、部屋の中は一気に暗くなった。

キヨンはほとんど燃え尽きている小さなロウソクに火をつけた。暖炉がないキヨンの部屋ではロウソクのあかりが唯一の温もりであった。彼女は凍える手に吐息を吹きかけて、置いていた筆を再び取り上げた。


ジョフムさん、元気?

ジョフムさんがいなくなった部屋は広く感じて、なんだか落ち着かないな。
たまに雪が降ったときは、この部屋ってこんなに大きくて寒かったっけ…って思ったりもするよ。
だから、はやく帰ってきてね…会いた


「ごほっ!」

激しい咳と共に、手紙を書いていた彼女の肩が大きく揺れた。そのはずみに滑った筆が書きかけの手紙に一本の線を引き、同時に墨汁のしずくがポタポタと滴り落ちた。

「もう…」

キヨンは急いで墨汁を拭いたが、なかなか拭き取れないどころか、拭けば拭くほど汚れが広がっていった。おかしく思った彼女はそのとき初めて手紙に垂れた雫が墨汁ではなく自身の真っ赤な血だったことに気付いた。

「ゴホッ!ごほっ、ごほ…」

喀血を含んだ咳がこぼれるように溢れ出た。彼女は耐えきれず、気を失って倒れた。

*

「肺の病…?」

医者の話を聞いたキヨンは信じられないといったように再び尋ねた。

「そんな…ただ咳が増えただけだと…それに、咳は子供のときからずっと続いてましたし…」 「もはや手遅れですな」 「手遅れ?」 「真蔵(しんぞう)の脈が乱れております。肺脈に続く血管が細いので今すぐに切れてもおかしくありません…持って2週間でしょうな…」 「2週間…?」


医者は何も喋れないキヨンに配慮して、彼女が頭の中で考えを整理して再び話しはじめられるまで落ち着いて待った。

「方法は…方法はないんですか?」
「雪華薬草があればなんとかなるかもしれないでしょうが、おいそれと手に入るものではありません…それに、確実な治療法は私も知りません…すみませんな…」

雪華薬草は、薬草士ですら一生に一度見られるかどうかの貴重な薬草であった。価格も価格だが、お金があれば確実に手に入れられるという代物ではなかった。

言葉を失ったキヨンは魂の抜けた表情のまま診察室を出た。実感が湧かなかった。気がつくといつのまにか彼女は自分の部屋に戻っていた。しかしどうやって帰ってきたのか、いつ帰ってきたのかは思い出せなかった。部屋中を見回してみたキヨンの目にはなぜか全てのものが見慣れなく映った。そうしているとふと、机の上に置かれている手紙に目が留まった。昨日彼女が倒れる直前に書いていた手紙だった。
突然キヨンの目から涙が溢れ出した。涙はとめどなく流れ続け、彼女はその場に座り込んで泣き続けた。


泣いていたキヨンが頭を上げたのはそれから数時間も過ぎた後であった。泣き止んだわけではなく、泣いても泣いても涙が乾くことはなかった。だが、彼女にはやらなければいけないことがあった。このまま泣いてばかりいるわけにはいかなかった。


袖で涙をぬぐって立ち上がったキヨンは急いで筆と山葡萄を取り出した。食べようとして手を動かすとまた涙がこぼれて、キヨンの涙で濡れた山葡萄が黒く光った。しかしキヨンは無理やりに微笑を浮かべて手紙を書いて書きはじめた。


ジョフムさん、元気?調子はどう?

そちらは危険なところだって聞いたけど…
何事もなく無事に過ごしてるかな?

私はジョフムさんのおかげで元気よ。 体調は相変わらずだけど… お医者さまは、いい薬草を食べて体も動かせば すぐによくなるって言ってたわ。心配しないでね。

だから苦い薬草もちゃんと噛んで食べてるし、 辛いけど運動もちゃんとしてるよ。 はやくジョフムさんに会えるように頑張るね。 だからジョフムさんも無理しないで健康でいてね。 良くなったら必ず会いに行くからもう少しだけ待っててね。いい?

じゃあ また手紙を送るから…またね。


キヨンは紙に涙がこぼれないように気を付けて手紙に封をした。あとは手紙を運ぶ薬草士が来るのを待って渡すだけだった。

*

一年中雪が振り続き、ややもすると吹雪になりがちな天気のせいで、北方雪原では行商人に代わって薬草士が村と村の間を行き来して物を伝えたり手紙を伝えたりしてきた。キヨンは次に自分の村に薬草士が来たとき、ジョフムが駐在している北方警戒所に手紙を渡してもらうつもりだった。しかし、いつもならばすでに来ているはずの薬草士が、どうしたことか何日経っても来なかった。

村では、北方討伐隊では脱営した傭兵と反逆者が村を略奪して大変なことになっているという噂が流れていた。行き来は制限され、少なくとも許可証がなければ通れないらしいと。そのせいで、限られた薬草士を除いては村から出ることすらできないと。最近になって獣人族の人間への襲撃が激しくなったことも人が北方討伐隊に近づくのを敬遠したがる理由に一役買った。薬草は貴重なものではあったが、命を懸けてまで運ぶものではないと住民たちも理解していた。しかしキヨンにとっては違った。彼女にはもう時間がなかった。


その日の夜、キヨンの咳は一晩中続いた。気を失っては目覚めるのを何度も繰り返した。日が昇ったとき、吐血で赤く染まった寝床を見た彼女は、荷造りをして部屋を出た。

もう時間がなかった。死ぬ前に彼をひと目でも見たかった。せめて手紙だけでも…

*

キヨンは歩いた。ひたすら歩いた。安静にしていたときですらも肺の痛みに耐えていた彼女にとって、北風の冷たい風はあまりにも厳しかった。一息吸って、一息吐くだけでも辛かった。普段から山に登っている薬草士すら歩くのに苦労するような道だった。そんな山を病気の少女が越えようという考え自体が、無謀だった。

いくらも進まないうちにキヨンは膝から崩れ落ち、そのまま座り込んでしまった。どれだけ力を入れても彼女の足はこれ以上動かなかった。運の悪いことに、そのとき再び咳が込み上げてきた。

ぼたっ。

真っ白な雪が赤い血で染まった。キヨンの唇を伝う赤い血と青白い彼女の肌が、不釣り合いで異質な色合いを醸し出していた。体に力を入れられなくなった彼女はそばに立っていた木の根元に寄りかかり、ゆっくりと目を閉じた。

*

息も絶え絶えだったキヨンを発見したのは近くの兵営から脱営してきた軍人だった。彼らが真っ先に見つけたものは彼女が持っていた小さなふろしき包みだった。脱営兵は意外な儲け物を見つけたことに喜び、包みを拾ってその場から去ろうとした。しかし包みを取り上げた瞬間、それを抱き締めていたキヨンの手も一緒に持ち上がった。そのときようやく彼女に気付いた彼らはびっくりして後ずさった。

「うおっ、びっくりしたな…何だ?人か?俺はまた雪女かと思ったぜ」 「なんだ?どうした?」 「おい、よく見たら人が倒れてるじゃないか。助けたほうがいいか?」 「もう死んでるだろ?放っとけ、そもそも俺たちが脱営兵だって忘れたのか?村に行けるわけないだろう」 「それもそうだが…」 「見なかったことにしろ、もう死んでるだろう。もし生きてたとしてもじきに死ぬ。荷物だけもらって行くぞ」

彼らはキヨンが力を込めて抱き締めていたキヨンの荷物を奪ってそのまま逃げた。もちろんキヨンは奪われないよう必死に抵抗したがキヨンの体は言うことを聞かなかった。

手紙… あの人に…渡さないと…

キヨンの目から涙かわからないほどの薄い氷が落ちた。霞みゆく息遣いと共に彼女の意識も霞んでいった。
そして…真っ白なキヨンの体は真っ白な雪吹雪の中に埋まり、消えた。

*

「やれやれ、凍え死んだ薬草士だろうか…」
「まだ幼いだろうな、かわいそうに」
「なんとかして家族を探してやれないだろうか?」
「何も荷物を持っていないから身元も特定できない。残念だが探せなさそうだ。せめて墓だけでも作ってやろう」

太陽が顔を出し、雪が解けたのはそれから一週間も過ぎた後であった。一足遅く来た薬草士たちがすでに息が絶えたキヨンを発見して不憫に思い、彼女のための墓を作った日もその日だった。彼らは薬草士本部の小さな墓地に、粗雑ではあったが石を積み上げてキヨンの墓を作ってやった。

「かわいそうに…まだ幼かったでしょう」

ちょうどそのとき帰ってきた薬草士本部の番人サム・ボウインが新しい墓を見て口を開いた。

「凍え死んでいるのを見つけて、墓だけは作ってやりました」
「そうですか、お疲れ様でした。どこの子だったのでしょうか?」
「分かりません。荷物もなく…名前を知る術がありませんでした」
「そうでしたか…分かりました。後は私が見ておきますのでもうお行きください」
「それではお願いします」


薬草士は手早く挨拶をして道を急いだ。サム・ボウインはなぜだかひどく痛ましい気持ちになり、手に持っていた雪パルパルの頭花を下ろして石積みに話しかけた。

「よく来たな。何があったのかは分からないが、辛いことはもう忘れてゆっくり休むといい」

-終-

*このストーリーはゲーム内サブ ストーリー「石墓の報恩」に続きます。
*このストーリーはゲーム内で「恋文」を習得すると開始できるサブ ストーリー「私は誰?ここはどこ?」に続きます。